
< 家族関係の難しさ(1) > (2007-8-2)
こんにちは
私は、通常、不動産名義変更の中でも特に、相続や生前贈与や財産分与といった、家族間の不動産名義変更を多く扱っています。
何か、特別にそういう事務所にしようと考えたわけではないですが、たまたま、そういう家族間の案件を多く業務させていただいたということです。
めぐり合わせというか縁というかそういう具合に、今は思っていますが、まあ、それはともかく、家族間の問題は、なかなか大変なものがあります。
なんといいますか、数ある人間関係の中で、最も、難しい人間関係が家族関係ではないでしょうか。
家族の問題が難しくなる原因は、いくつかありますが、まずは、家族関係は、容易に絶縁ができないところにあります。
たとえば、ケンカしたりして、感情的に相手のことを「許せない」と思ってしまうことは人間ですからよくあることです。
この場合、他人が相手であれば、後で和解してもいいし、無視してもいいわけですから、その時は腹が立っても根本的には気軽なわけです。
気軽だから、和解もしやすいわけです。気にいらなければ、絶縁すればいいだけの話ですから。
ところが、家族の場合は、簡単に絶縁というわけにはいかない。
家族の場合、後々、ずっと関係が続くわけですから、妥協しづらい。
しかも、きちんと解決しないで適当に処置してしまうことは、一般社会ではよくあることですが、家族間ではそれはやりにくい。
そうすると、簡単には和解できず、徹底的に言い争ってしまうことになります。
そう、他人と和解するより大変なのが家族の和解なのです。
だから、一度、火がついた家族の争いは、なかなか鎮火するのが容易でないことになります。
他人に対しては妥協できるけど、家族に対しては妥協できないというのは、冷静に考えれば不思議な話ですね。
さっさと和解して、みんなで仲良く平和にくらしていけばいいじゃない、と考えるのが自然ですから、あえて、ガミガミ言い合って、場合によっては泥沼にはまっていくのは、理に合わないところがあります。
でも、家族の関係はそういう理に合わないところで動いている部分が多いのです。
そのあたりにつきましては、次回にお話したいと思います。
ではまた
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< 家族関係の難しさ(2) > (2007-8-3)
こんばんは
さて、前回は、家族の問題はとても難しいというお話をしましたが、その原因のひとつとして、理に合わないところで動いていることがあります。
もともと、家族の成立は、契約のように当事者が合理的に作り上げた関係ではありません。
論理的に必然によって結婚するとか、合理的な考察によって子供を作るとか、そういうことは普通はないですよね。まあ、なんとなく、そうなってしまったというのが、多いと思います。
ごくごく偶然的であり、感情的であったりするのが普通です。
ましてや、子供からすれば、親を選ぶことはできないわけですから、そもそもがとても不合理に成立した人間関係だという意味もあります。
その偶然的、感情的な世界である家族関係に、一般社会の合理性を求めようとするから、関係が難しくなってしまうのではないかと、私は思っています。
その理由をいろいろお話したいところなのですが、
今日は、時間がなくて、申し訳ないですが、続きは次回にさせていただきます。
ではまた
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< 家族関係の難しさ(3) > (2007-8-4)
こんにちは
前回は、家族関係はもともと不合理に成立したものであり、そこへ一般社会の合理性を持ち込もうとすると、うまくいかなくなるのではないか、という問題提起をしました。
今回その理由についての考えをお話します。
家族関係というのは、一般社会の人間関係とは区別された特別なものです。
どのように特別であるかは、それそれ家族によって違うので、一義的にいうのが難しいのですが、
わかりやすくするのため、あえて狭く言ってしまうと、一般社会が相互利用によって成り立つ人間関係であるとすれば、家族関係は、特別な信頼による安心が約束された関係であると考えています。
つまり、いつまでもお互いがお互いを裏切らずに、味方であり続け、そのことが絶対的な安心感、心地よさをもたらす関係であるともいえます。
たとえば、60歳近い親と30過ぎた息子がいたとして、その息子が仕事が見つからなくて家でぶらぶらしていたとしたら、親としては
「30過ぎて、まだ、親のすねをかじって、それでいいと思ってるのか!」
「お前は、最低だ。いいかげんに働けよ、馬鹿」
とか、いいたくなると思います。
確かに正しい。
実際、親の立場としては、つらいでしょうし、苦しいことも多いでしょう。
30過ぎて、働かないで、親の世話になっているようなことは、まあ、よくないですよ。
でも、そういう状態であれば、おそらく、周りから「バカ」とか「クズ」とか散々ひどいことを言われ続けているわけですよ。
そういう一般社会で人から言われるような説教なり侮辱を家でもいわれ続けるとすれば、じゃあ、社会も家庭も同じ空間、別に特別な関係じゃなく、一般社会と変わりないことになります。家族と一般人とどう違うの?
正しいか間違いか、良いか悪いか、社会で生きていけば、どのみちうんざりするほど問われるわけですよ。
それを、家族の中でも問われ続けるとしたら、いったい、どこで休まればいいのだろう、ということにはならないでしょうか。
もちろん、それは、甘えの一種であります。
しかし、甘えも許さないし、清く、正しく、厳しくあれ、というのであれば、何のために家族が家族でいるのか、その存在理由は何なのでしょう?
先ほどの親子の例でいえば、一般社会の常識を持ち出して説教すればするほど、家族の関係を破壊していくだけの効果しかなく、たぶん、状況がぜんぜん良くならないことが多いと思われます。残念ながら、良い悪いという論法は、家族関係にとっては、よい結果をもたらすことが少ないのです。
「家族は特別」ということに意味があるわけで、一般社会の規範で家族関係を律することは、そのまま家族関係を無意味にしてしまう。
だから、家族の問題は難しくなるのです。
極論すれば、一般社会の常識が通用しない非常識な空間であるということ、それが家族という特別な人間関係であるということです。
では、どのように対処したらよいのか?
正直、私にもわからないことが多すぎるのですが、
そのあたりを次回に考えてみたいと思います。
ではまた
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< 家族関係の難しさ(4) > (2007-8-5)
こんにちは
前回は、家族の関係は、一般社会の常識を持ち込むことは、必ずしも、よい結果をもたらすことにはならないというお話をしました。
家族のなかでトラブルが発生した場合において、他人がアドバイスしようとすると、多くの人は、こう言います。
「家族の問題なんだから、他人は黙っておいてくれ」
家族の問題は、家族だけの問題であって、他人がどうこう言うべきことじゃないと
それは、一般社会とは別空間である「家族の空間」を作っていることになります。
にもかかわらず、家族間の話し合いの中で、「世間はこう」とか「常識はこう」とか言いだして、相手に承服させようとするのは、そもそもが矛盾しています。
ある時は「家族は特別」といい、ある時は「世間はこうだ」という。
そういう時と場合によって、自分の立場をころころ変える態度が最悪なのです。
正しいとか、間違っているとか以前の問題として、よって立つ立場なり考え方が一貫しない人を信じることができますか?
特別な関係、特別な空間を作った以上は、その世界独自の処置を考えて実行しなければ、一貫しないことになります。
カルト教団の人々の結束が固いのは、なぜなのでしょう?
マインドコントロールによって操られているから、と考えるのは、いささか考えが浅いと思います。
もちろんマインドコントロールはあると思いますが、それは、良いか悪いかという規範の部分の問題であって、人間関係の問題ありません。
カルト教団は、デタラメな教義が多いですが、でも、立場が一貫してます。
立場が一貫している者どうしの人間関係はとても信用しやすい。安心しやすい。
純粋な人ほど、一般社会の人々は、ころころ立場を変えて、どこまで信用できるかわからないと考えて、カルトにはまってしまうのは、理のある話なのです。
だから、カルト教団の問題は、大変なのです。
カルト教団を非難するのは当然ですが、決して、バカにしてはいけないですね。
家族が崩壊していくこととカルトが増加していくことに、明らかな因果関係があるようですが、それは、家族関係から信頼という要素が失われつつあることを意味するからです。
いささか、話が横道にそれましたが、
大切なことは、家族というのは、特別な関係であるので、あくまで「特別であること」を一貫させなければなりません。
とくに、他人を非難するときと同じ論法で家族を非難することは、最悪です。
原則として、一般社会とは違った世界であることは、徹底しなければなりません。
その上で、一般社会常識との調和(妥協点)を探るのが、よいのではないかと考えてます。
つまり
まず、「家族」であるから、家族の論理としてお互いの信頼を確認しあう。
その上で、現状に問題があるので、改善および妥協点を一緒に考えよう。
という感じになるのでしょうか。
大切なのは、「家族」であり家族の関係であって、良いか悪いかではない。
「常識なんかどうでもいい。家族の幸せのためなら非常識でけっこうだ!」
みたいな、ある意味で非常識な勇気が求められることになるのかも知れません。
どういう立場であろうと、一貫していれば、最悪なことにはならないのではないかと、現時点では私は考えています。
ということで、
今後も
できる限り、家族の問題については考えていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
ではまた
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